パズルとかなぞなぞって、視覚的なものはあっても聴覚的なものはないですよね。
なんだか不思議です。
…うん、それだけ。
テスト中なので更新停滞中です。(というより、ネタがない)
…また下剋上発動かな。
なんだか不思議です。
…うん、それだけ。
テスト中なので更新停滞中です。(というより、ネタがない)
…また下剋上発動かな。
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たくさんの情報がネットという糸を通じて簡単に得られるようになって、便利な反面わくわくのないつまらない世の中になったなぁと最近よく思います。
最近ずっと同じ話ばかりしてるのでそれに乗っかってゲームを例にとりますが、長期間ホームページを公開して、確定は確定の事項なんだろうけどそこからどんどん脳内で情報が発展していって氾濫して、いざプレイとなると「こんなはずじゃなかったのに」って思うこと、ありません?
そりゃ、まあ、売る側も買う側も宣伝しなけりゃ売れないことは百も承知です。買う側にとっちゃ発売前にできるだけ情報が欲しいわけだし、売る側だって情報を小出しにして少しでも発売日まで興味を持ち続けてくれる人が欲しいわけです。
でも私が思うに、せめて売る側はそんなに長期間で情報を出す必要はないと思うんですよ。単なるエゴかもしれませんが、少しずつ公開される情報で購入を心待ちにしても、理想は確かにプレイ時に強く求められるものなのです。希望通りのものであれば購入前の高揚はある程度は長続きします。けれども理想と目の前の現実が違っていれば、落胆や失望を覚えます。それを考えれば、ゲーム自体の評価と利益を左右するもっともな要因が購入者=ゲームを実際にプレイした人なのは言わずもがな、除けば事前に公表される情報が大事なのかもしれません。文章が正しければ理想は確実に事実へ近づき、差違があれば誤解を与えてしまう。
でも、ゲームを買うってそういうことなのかもしれませんね。誰かが「これは最高だ!」なんて言っても、他の誰かは「全然面白くない」なんてことはざらにあります。となれば、自分はこういうのが好きなんだと割り切るしかないのです。というより、何でも詰まる所はそこに収まると思うんですよね。
他人の意見に流されないように、自分の意思をはっきり確定できるように。
良くも悪くも「自分らしく」ありたいと思います。
最近ずっと同じ話ばかりしてるのでそれに乗っかってゲームを例にとりますが、長期間ホームページを公開して、確定は確定の事項なんだろうけどそこからどんどん脳内で情報が発展していって氾濫して、いざプレイとなると「こんなはずじゃなかったのに」って思うこと、ありません?
そりゃ、まあ、売る側も買う側も宣伝しなけりゃ売れないことは百も承知です。買う側にとっちゃ発売前にできるだけ情報が欲しいわけだし、売る側だって情報を小出しにして少しでも発売日まで興味を持ち続けてくれる人が欲しいわけです。
でも私が思うに、せめて売る側はそんなに長期間で情報を出す必要はないと思うんですよ。単なるエゴかもしれませんが、少しずつ公開される情報で購入を心待ちにしても、理想は確かにプレイ時に強く求められるものなのです。希望通りのものであれば購入前の高揚はある程度は長続きします。けれども理想と目の前の現実が違っていれば、落胆や失望を覚えます。それを考えれば、ゲーム自体の評価と利益を左右するもっともな要因が購入者=ゲームを実際にプレイした人なのは言わずもがな、除けば事前に公表される情報が大事なのかもしれません。文章が正しければ理想は確実に事実へ近づき、差違があれば誤解を与えてしまう。
でも、ゲームを買うってそういうことなのかもしれませんね。誰かが「これは最高だ!」なんて言っても、他の誰かは「全然面白くない」なんてことはざらにあります。となれば、自分はこういうのが好きなんだと割り切るしかないのです。というより、何でも詰まる所はそこに収まると思うんですよね。
他人の意見に流されないように、自分の意思をはっきり確定できるように。
良くも悪くも「自分らしく」ありたいと思います。
※ニコルが死んでしまう、という話を聞きまして、へこんでおります
誰も死ななければいい、なんてのはしょせんわがままでしかないのかもしれない。傷跡のない終わり方なんてきっとどこにもない。
それでも、だとしても、死んでほしくはなかったんだ。生きて、ずっと笑っててほしかった。
まだ確定事項ではないにしても、それはきっともう決まってる。こういう時に限って人間の脳っていうのは便利なものになって、とても不便なものになる。現在はすぐに過去になって、立ち止まる間もなく未来は現在になる。
頭の中から記憶をコピーして、目に見えるもので留めておけたらいいのにな、なんてことを思う。けれどそれじゃ、いつまでたっても前には進めないということ。自分でも知っている。
記憶はいつだって、思いだしたときに、誰かに話してあげるときに笑えるものでなくちゃいけないと、自分は思う。だから今回も、きっとそうだ。先のことでも、笑えていたなら、忘れないよ。
だからきっと、「さよなら」じゃなくて、「ありがとう」。
誰も死ななければいい、なんてのはしょせんわがままでしかないのかもしれない。傷跡のない終わり方なんてきっとどこにもない。
それでも、だとしても、死んでほしくはなかったんだ。生きて、ずっと笑っててほしかった。
まだ確定事項ではないにしても、それはきっともう決まってる。こういう時に限って人間の脳っていうのは便利なものになって、とても不便なものになる。現在はすぐに過去になって、立ち止まる間もなく未来は現在になる。
頭の中から記憶をコピーして、目に見えるもので留めておけたらいいのにな、なんてことを思う。けれどそれじゃ、いつまでたっても前には進めないということ。自分でも知っている。
記憶はいつだって、思いだしたときに、誰かに話してあげるときに笑えるものでなくちゃいけないと、自分は思う。だから今回も、きっとそうだ。先のことでも、笑えていたなら、忘れないよ。
だからきっと、「さよなら」じゃなくて、「ありがとう」。
FF13の動画何度も見返して、なんかもどかしいなーとか思ってたんですよ。敵の攻撃受けっぱなしだなーって。
ついさっきようやくその違和感の正体が分かったんですけど、これってアクションゲームじゃないんですよ。れっきとしたRPGなわけです。
動画だとよく戦闘画面が映るから、あまりにも行動が迅速的で並行的なので、それで頭というか、感覚が混乱しちゃったんでしょうね、きっと。
アクションはほとんどかじったことがありませんが、やけに早くて攻撃をよけやすい奴を使うのが好きだった記憶があります。当たるのがいやなんでしょうね、痛いから。現実の私のドッジボールスタイルと一緒です。とにかくよけっぱなし。
どうもアクションとかは兄が得意なイメージがあって、でその分苦手意識があるような、気がしないでもない。だからテイルズは自分に合わないと思ったのかな。
FF13だったら、もどかしかったアクションも上手く出来るような。そんな感覚になれる気がします。
……本気で買ったらどうしようかって、それを今から考えるのもどうなのよ。
ああ、はやくARF受け取りに行かなくちゃ……。
高総体でほとんど休みなもんだけど、天気がころころ変わって行く気が失せる……。
ついさっきようやくその違和感の正体が分かったんですけど、これってアクションゲームじゃないんですよ。れっきとしたRPGなわけです。
動画だとよく戦闘画面が映るから、あまりにも行動が迅速的で並行的なので、それで頭というか、感覚が混乱しちゃったんでしょうね、きっと。
アクションはほとんどかじったことがありませんが、やけに早くて攻撃をよけやすい奴を使うのが好きだった記憶があります。当たるのがいやなんでしょうね、痛いから。現実の私のドッジボールスタイルと一緒です。とにかくよけっぱなし。
どうもアクションとかは兄が得意なイメージがあって、でその分苦手意識があるような、気がしないでもない。だからテイルズは自分に合わないと思ったのかな。
FF13だったら、もどかしかったアクションも上手く出来るような。そんな感覚になれる気がします。
……本気で買ったらどうしようかって、それを今から考えるのもどうなのよ。
ああ、はやくARF受け取りに行かなくちゃ……。
高総体でほとんど休みなもんだけど、天気がころころ変わって行く気が失せる……。
FF13、にことごとくもってかれました。
あえいうえおあお、どうしようもなく期待してしまう自分がいる……!!
これだからゲームはやめられないんだって……!!
なんかお風呂に入ってふいにこんなことを思ったので、考察としてまとめてみる。
あえいうえおあお、どうしようもなく期待してしまう自分がいる……!!
これだからゲームはやめられないんだって……!!
なんかお風呂に入ってふいにこんなことを思ったので、考察としてまとめてみる。